建築物データベース

山形の建築作品一覧

名称 鶴岡市 旧西田川郡役所
概要

 明治14年(1881)西田川郡役所として建設され、その後昭和18年に山形県田川地方事務所となり、昭和45年3月まで使用された。
 44年12月には明治建築の庁舎として、国の重要文化財の指定を受けている。現地保存が困難となり、現在の(財)致道博物館に譲渡された。

名称 米沢市 旧上杉伯爵邸
概要

上杉記念館(旧上杉伯爵邸)有形登録文化財指定
 上杉記念館は元米沢城ニの丸・寺院後に、明治29年、上杉14代茂徳(もりのり)公、伯爵邸として建てられ鶴鳴館(かくめいかん)と称された。明治41年9月、大正8年5月米沢大火で、焼失。
 現邸は大正14年5月に、銅版葺き、総ヒノキの入母屋づくりの建物と、東京浜離宮に倣って造園された庭園が完成し、現在のかたちに再建されたものです。

名称 寒河江市 慈恩寺本堂(彌勒堂)
概要

 元和4年(1618)山形城主家親(義光の子)が再建に着手し、その子義俊の時完成した。
 明治41年特別保護建造物に指定され、昭和25年重要文化財建造物に再指定された。 建物は桃山時代の様式を残している。

名称 最上町 封人の家
概要

昭和44年12月重要文化財指定(旧有路家住宅)
 この建物は山形県東北部に見られた広間型民家の代表的なものです。
 建物の様式や技法には元禄をくだらない古さが見られ、300年以上の歴史を経ていると推定されます。
 建物の特色は、いわゆる役屋(村役場)としての性格をもち、さらに問屋や旅館の機能もそなえた国境の庄屋屋敷にふさわしい備えの住宅といえることです。
 昭和46年6月から同48年3月まで、文化庁並びに関係機関の指導監督のもとに解体復元工事を行い、建築当初の姿に復元したものです。

名称 長井市 やませ蔵
概要


 江戸時代から家業として続いていた紬問屋、屋号を<清(やませ)>といい明治時代に建てられた蔵々が『やませ蔵』として美術館に生まれ変わった。
 平成3年度「ふるさとづくり賞」の奨励賞、平成4年度「美しい街並み賞」、平成5年「東北建築賞」作品賞を受賞された。

名称 村山市 五十沢かやぶきの里
概要

 村山市五十沢地区の集落に今も約8割の世帯が、茅(かや)葺きの家屋で生活し建物を維持している。こうした民家や集落、里山を維持してきた住民の生活や生業の継承である。
 明治村や民家園のような形態だけの保存では民家や集落が持っている本当の魅力は失われてしまう。そこで生活し、農地を耕す人がいて初めてその魅力が生きる。

名称 羽黒町 羽黒山五重塔
概要

 羽黒山の長いスギ並木を下り、神橋を渡るとまもなく左手に南面する石畳の先に国宝五重塔が鎮座します。
 この山間五重塔婆こけら葺の塔は南北朝時代に建立されました。
 山伏達の建築文化、情報収集の早さを伝えるものです。

名称 米沢市 上杉神社
概要

 上杉謙信公の祀られている上杉神社。明治9年に社殿竣工したが大正8年の大火にて焼失。大正12年に再建されたもので、設計は日本建築学の権威者、文化勲章受賞者でもある伊藤忠太博士。祭礼は4月29日から5月3日まで、毎年行われている。

名称 山形市 霞城公園・東大手門
概要

 山形城は、最上氏の祖斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられている。兼頼の子孫は、その後最上氏を称して、代々居城した。最上氏11代当主義光の代に関ヶ原合戦の戦功により57万石の大々名となり、実質100万石の城下町として山形は繁栄した。
 現在は、ニの丸塁濠を残すのみであるが、戦後の昭和24年に、霞城公園として一般に開放された。また昭和61年5月に、公園二の丸跡と三の丸跡の一部が、国の史跡に指定されている。ニの丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして昭和62年に着工し、約6年の歳月を費やし、平成3年3月、史実によって木造建築で復元され、名所の一つとなっている。

名称 金山町 明安小学校
概要

 金山町立明安小学校は昭和38年に現校舎が建設され、老朽化のため新校舎が建設されることになった。平成12年の8月に着工し平成14年3月完成した。
 木材の特色ある活用により、児童が日常触る部分の建具、家具及び壁は木材を使用。エントランスホール、回廊の床は現場産のウッドロックを使用し、屋根の架構は、金山杉を加工した大断面集成材でアーチを形成、天井の高い空間を可能にした。
 コンクリート壁の型枠に杉の間伐材を使用し、冷たく単調になりがちな外壁も質感のあるものに仕上がっている。