空気環境とシックハウス
東北工業大学 環境情報工学科 教授 佐賀武司
●戸外の空気環境
関西方面に行くことがあると、無理をしても京都に立ち寄ることにしている。それが冬の寒い季節であってもである。これには、なかなか京都へ行く機会がないということもあるが、行けばなにかしらこの町の魅力に触れて帰ってくるので、その期待からかもしれない。
幸いに先日、暑い京都であったが、足を伸ばすことができた。観光の名所、南禅寺は、宿から近いので、境内を散歩しながら、三門のそばの天授庵によってみた。ここは以前に冬にきたことがあるのだが、とても良い庭だなと思いつつ、寒さに勝てず、ただ庭園を一巡して帰ってしまったところである。
この日の庭園は、夏の暑い日差しに照らされ、木々の緑が深い陰影を作っていた。大屋根の下の日陰となった縁側に座ると、丁度、風は庭から吹いてきて、少し湿り気を感じる冷気が気持ち良かった。これが環境工学で言う緑の効果ということになろうか。
緑には粉塵を吸着し空気の清浄作用もあることを思い出して、この空気はそう簡単に得られるものでないぞと、大きく深呼吸をしたものである。
60年代、公害問題が顕在化して、大気汚染が注目されはじめた。現在でも決して解決された問題ではないが、汚染物質の発生源の除去、?汚染物質の総量規制、?汚染物質の許容濃度など、諸規制によって大気汚染の拡大防止が計られてきている。
さて、天授庵で吸い込んだ空気はどんな空気であったのだろうか。人体に害にならない程度の汚染物質を含んでいたかもしれないが、私には緑から流れてきた空気が感覚的においしいと感じていたのである。
水が売られる時代である。そのうちに空気も形を変えて買い求められるようになるのかもしれない。最近、知らず知らずに深呼吸をする場所を選ぶ自分に気づくことがある。その選択は汚染物質の検知能力を持った身体でないから、ただ感覚だけが頼りである。
●室内の空気環境
省エネに向けて建物の高断熱高気密化が普及し始めたころ、結露被害の問題をよく耳にしたし尋ねられもした。数棟の同じ造りの建物のうち、その1棟に内部結露が発生したという深刻な話もあった。これは断熱化にともなう気密化を十分に注意して施工しなかったために結露被害の原因をつくった例に思われた。現場の技術によるリスクの大きさをあらためて知ったものである。
また、結露の原因が建物そのものでなく、建物を利用する側、住む側がその原因を作っている場合がある。開放型燃焼器具の使用や不用意な水分の発生などは、室内の周壁に表面結露を発生させる。室内の気密化にともない、暖房と換気に注意を怠っていると、暖房室に隣接した非暖房室は高湿化し、カビ被害の原因をつくることになる。また、換気装置の連続運転が必要だと分かっていても、いったん停止すると、すぐそれに慣れてしまい、不都合がなければ停止期間も長くなり、被害が出てはじめてその原因に気づくのである。この頃の住宅でのアレルギー疾患の原因の多くが、このような空気環境によって生じたダニやカビの生物被害によるものに思われた。
施主が「建物がどう造られているか」という知識を持つことも大切だが、良好な温熱環境づくりには設計者、施工技術者、施主等の連携がなくして実現できないように思える。
●シックハウス問題
90年代、シックハウス問題が顕在化した。これは、新築やリフォームした住宅に入居した人が、気分が悪くなる、目がチカチカする、喉が痛い、頭痛がする、アレルギー症状がでるなど、体調の変化を訴えることがあって社会問題化したものである。 いわゆる、シックハウス症候群である。
原因が住宅の中に存在する化学物質にあるため、外出すると症状が治まるという特徴もあるが、症状が進むと住宅の中にいるときだけでなく、微量の化学物質に曝されただけで発症するようになるという。これは化学物質過敏症と呼ばれ、さらに様々な化学物質によって引き起こされる場合は多種類化学物質過敏症と呼ばれている。
困ったことに、この原因となる化学物質が、建材、設備、家具、什器、生活用品、防虫・防蟻剤などに使用されていて、原因が、建物そのものにあるだけでなく、私達が日常的に使用するものにも存在していることである。こんなことから、原因物質の完全除去は難しそうであるが、このシックハウス症候群対策の一環として建築基準法が改正され、本年7月に施行された。
この法改正で規制の対象となった化学物質はクロルピリホス(有機リン系の防蟻剤に使用)とホルムアルデヒドである。規制内容の大略は、クロルピリホスの添加した建材の使用禁止、?居室の種類及び換気回数に応じて、内装仕上げに使用するホルムアルデヒドを発散する建材の面積制限、?ホルムアルデヒドを発散する建材を使用しない場合でも、家具などから発散があるため、原則として全ての建築物に機械換気設備の設置を義務付ける。天井裏等は下地材をホルムアルデヒドの発散の少ない建材とするか、機械換気設備で天井裏等も換気できる構造とする、というものである。
すなわち、?は汚染物質の発生源の除去、?は汚染物質の総量規制、??は汚染物質の濃度を基準値以下にするということになろうか。しかし、シックハウス症候群は、ごく少量の化学物質においても発症するということを思い起こすと、法規制を遵守したからよいというだけでは済まなそうである。
さて、今のところ私は、室内で大きく深呼吸しても大丈夫だろうかというような疑問を持つにいたっていないが、空気環境の視点から新らたな建築工法を生み出すための様々な試みが必要になってきていると感じている。
シックハウスについて思うこと
本間利雄設計事務所 本間利雄(山形地区)
最近シックハウスについて新聞・テレビでも取り上げられることが多く、一般の方々にも認識されて来たものと思われます。私も今まで建物を提供してきた者として責任を感じており、勉強して対応していかなければと思っております。
このシックハウスの問題は、我々を取り巻く住環境が変わってきて表面化した事で出てきたものと思われます。私たちの生活を取り巻く日常の環境について考えてみると、大きく変化してきて、様々な化学物質に取り巻かれているように思います。このシックハウスもそうですが、食品や日常的に使用している洗剤・化粧品・パソコンを含む事務機器など多くの物が新たに登場して、様々な形で我々の生活に関係しています。中には相乗効果で影響が倍加していることもあるようです。
弁解になるのでしょうが、シックハウスの原因になる主に防腐剤は、インフラとしての建築を守ってきたことに一定の価値はあったと思っております。 防腐剤はただ悪玉とされているようですが、健康に重大な影響があるカビの発生を抑制してきたことはまぎれもない事実です。快適な住環境を求めて住宅がどんどん高気密・高断熱になっている状況で、結露によるカビが問題となってきました。昔の住宅は木製の建具ですきま風が多く、日本の高温多湿の環境でも対応してきたわけですが、そのような状況はなくなったと言って良いと思います。施主の要望もまた我々設計者も効率と快適を追求してきましたが、一定の資金で一定の効果を得ることは出来たのではなかったかとは思っています。
今回建築基準法で有害化学物質についての対策が取られたわけで、これを守ることは我々の義務でありますが、この規制により一定の効果が得られるとは期待しています。またこれらの基準を作るにあたっては多くの研究の成果であったと思われ、敬意を表するところです。しかしながら建築は様々な状況におかれており、それぞれの条件で防腐効果の下がったと思われる建材で問題のない建築となるよう真摯な努力が必要とは思っております。
改めて我々設計者もシックハウスを含む環境問題に真摯に取り組むべき時代となったと認識すべきと思っているこの頃です。
今見直される天然素材:漆喰
(株)マルシゲ 熊谷一幸(山形地区)
左官屋にもe-ビジネスが出来るとは思っても見なかった。わが社のホームページを見て、ぜひ土蔵の改修工事を検討したい。という趣旨のメールが飛び込んできた。大阪の方であったが、いろいろメールでやり取りしたら山形県の上ノ山市が実家でそこの土蔵を整備して生まれた家に恩返ししたいとの事であった。早速土蔵を調査し、見積りと提案書をやり取りし、ぼろぼろの土蔵が漆喰(しっくい)でよみがえった。
山形は日本でも有数の土蔵の町である。喜多方も有名であるが、山形人は宣伝が下手なのかあまり知られていないのが実情である。山形土蔵は紅花商人が最上川をのぼって京都の土蔵技能を伝承したと言われ、豪華な土蔵が多数現存している。白亜の漆喰で仕上げられた土蔵は先人の職人の知恵と技能とその文化が作り出した、世界に誇れる日本建築である。夏涼しく、冬暖かくそれが自然と調和して、空調に頼らないパッシブソーラーハウス的な発想が何百年も生きている唯一の建物であると思う。ただ、その維持管理の問題と土蔵への価値観の違いにより、朽ち果て、どんどん取り壊されつつあるのも事実である。
漆喰という素材は驚くほど昔から使われている。レオナルドダビンチの「最後の晩餐」の下地キャンバスは漆喰であり、ヨーロッパの寺院の天井の壁画の下地はほとんどが漆喰である。日本の壁画も例外ではなく、高松塚古墳の有名な壁画、そして現存する最古の左官工事として知られる法隆寺金堂の壁画も漆喰を下地としたフレスコ技法を用いたものである。漆喰はキャンバスとしての性質をもち、また大昔の別々の国で同じフレスコ技法が用いられのを考えると、漆喰が生活に密着した建築素材であった事がわかるものである。山形でも旧県庁舎の「文翔館」の天井は全て下地の木摺りに漆喰で仕上げ、山形の左官職人が5年の歳月をかけ仕上げた漆喰工事である。漆喰彫刻の花飾りは、粘土で型を何回も作り直し、試作品を床に同じ物をつくり、試行錯誤して左官技能でよみがえらせた重要文化財である。天井のどこかに山形のさくらんぼが1ヵ所だけ漆喰で作って飾られているのは、初めて明かす話である。
先人たちは漆喰の性質を知り尽くしていたが、唯一、健康にいい壁などとは微塵も考えなかっただろう。家の造っている建材で、健康を害するなどとはここ5、6年前から叫ばれ始めただけで、健康住宅と言う言葉も逆にいえば不健康住宅だったのか、となる。あまりにも、簡単に家をつくり、生産性と工期短縮にはしり、その結果人間が住みづらい家を怒涛のごとく造り出して来たのである。シックハウス症候群、VOC中毒、アトピー性皮膚炎、いわゆる化学物質過敏症である。珪藻土、漆喰、じゅらく壁、備長炭入りじゅらくなどさまざまな左官材料が出てきているが、基本は昔の素材にヒントがあると思う。ただ、天然素材にだけこだわり、ヒノキの小幅板を壁、天井、床に敷き詰めた家を造ったらヒノキの臭いで、過敏症が悪化した例もある。そこが設計の難しさでもある。
さて、最後に漆喰と言うとどうしても古臭いイメージがあり寺院の壁、和風の壁などにしか使われないと思われがちである。しかし、漆喰の持つ特性を考えれば無限の可能性がある素材でもある。漆喰はどんな色でもつけられ、テクスチャーも、中世ヨーロッパ風(?)に塗りっぱなし仕上げ、漆喰と砕いたレンガを混ぜ塗って見たり、砕いた鏡を埋め込んだ壁を造ったり、ビー球を埋めたり、ホウキでこすったパターンを出したり、いろいろなタイルを埋め込んで見たり、こまい砂利を混ぜて表面を水で洗って見たり、紅花の花びらを練りこんで塗って見たり、さまざまなパターンが出せるのが、漆喰である。
コーヒーカップの後ろに漆喰がある生活もおつなものである。
一度ぜひ漆喰とお付き合いして見てはどうだろうか。
旧県庁舎「文翔館」(山形市)内部飾り天井